東京高等裁判所 昭和63年(ネ)1570号 判決 1988年11月30日
控訴人 早坂政広
控訴人 大東京火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役 塩川嘉彦
右両名訴訟代理人弁護士 西山正雄
被控訴人 遠藤仁
右訴訟代理人弁護士 後藤昌夫
主文
原判決中控訴人ら敗訴部分を取り消す。
被控訴人の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
一、控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
二、当事者双方の事実上の主張は、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する(但し、原判決八枚目表九行目の「1と同様の」を「右(三)と同様の」に、一三枚目表五行目の「(一)ないし(三)」を「(一)、(二)」にそれぞれ改める。)。
三、証拠の関係<省略>
理由
一、阿部正治が、昭和五八年九月一七日午前〇時五〇分ころ、被控訴人の同乗する加害車を運転して神奈川県藤沢市鵠沼海岸四丁目一番一二号先路上を進行中、同車を鵠沼橋欄干に衝突させたことは当事者間に争いがなく、いずれも原本の存在、成立とも争いない甲第二ないし第四号証によれば、右衝突事故が原因で、被控訴人は、左上腕前腕骨骨折、左踵骨骨折、頭蓋骨亀裂骨折、骨盤骨折、前腕火傷、下腿臀部火傷(Ⅲ度)外傷性歯牙破損の傷害を受けたことが認められる。
二、<証拠>によれば、加害車は、控訴人早坂が昭和五八年七月ころ代金八六万円で購入し、通勤のために使用していたものと認められるところ、<証拠>によれば、控訴人早坂の保有する右加害車を阿部正治が運転して右事故を起こすに至った経緯は、次のとおりであると認められ、この認定に反する証拠はない。
1. 控訴人早坂は、昭和五六年三月に沼津市内の中学校を卒業し、右事故当時同市内の会社に防水工として勤務していた者であり、阿部正治、本多明と遠藤和幸は、いずれも控訴人早坂と同時期に同市内の控訴人早坂とは別の中学校を卒業した者である。
被控訴人は遠藤和幸の弟である。
控訴人早坂は、阿部正治とは友人を介して知り合い、数回顔を合わせたことはあったが、深い付合いはなく、自動車を貸借したこともなかった。また、本多明とは顔見知り程度の仲であり、遠藤和幸及び被控訴人の両名とは全く面識がなかった。
2. 控訴人早坂は、加害車を自宅から五、六キロメートル離れた勤務先への通勤のため毎日使用していた。
3. 阿部正治は、昭和五八年九月一四日午後一〇時ころ、本多明、遠藤和幸と連れ立って控訴人早坂の肩書住所の自宅に赴き、真実は当分の間遊びのために乗り回すつもりであって、直ちに返還する意思はないのに、これを秘し、「沼津駅まで行くので二、三〇分車を貸して貰いたい」と嘘を言って加害車の借用方を申し入れた。これに対し、控訴人早坂は、阿部正治や本多明とは前記の程度の仲でしかなく、同人らについてはよからぬ噂も聞いていたので、はじめのうちは貸すのをためらっていたが、本多明からも「信用できないのなら二〇万円の時計を置いていくから」などと強い調子で頼まれたため、両名がそこまで言うのなら断りきれないと思い、明日通勤に使うので必ず約束どおり三〇分後に返してくれるよう念を押したうえ、加害車を阿部正治に貸し渡したものであって、同人が翌日以降も加害車を乗り回したり、被控訴人を同乗させたりすることを容認したことはなかった。
4. 阿部正治は、そのまま加害車を運転して、遠藤和幸を同人宅に送り届け、その後は、家にも帰らず、本多明を乗せて沼津市内等を乗り回し、翌一五日にも加害車を返還せず、また控訴人に何ら連絡することがなかった。そして、同月一六日夕方、再び遠藤和幸を誘おうとして加害車を運転し、本多明とともに右遠藤方を訪ねた。しかし、同人が留守であったため、居合わせた被控訴人を乗せて再び乗り回したすえに、同日午後九時ころ、静岡県駿東郡清水町内のスナックへ行き、酒を飲んだ。その席で雑談するうちに、誰言うことなく鎌倉の大仏を見に行こうということになり、阿部正治は、いとこの久保田文子を呼び出して、同日午後一一時三〇分ころ、加害車に本多明、被控訴人と久保田文子の三名を乗せて鎌倉に向かったところ、その途中で前記のとおり衝突事故を起こしたものである。
5. 一方、控訴人早坂は、加害車を貸した当日は夜どおし寝ずに車の返還を持ち、さらに、同月一五日午前中も勤務を休んで待っていたが、阿部正治が加害車を返還しなかったので、同日午後から同人の行方を同人や本多明の友人に尋ねて回った。そして阿部正治の家の所在を知らなかったので、翌一六日夕方勤務が終わった後に、その所在を知っている森島正美、山崎佳光とともに阿部正治の家に行き、右森島らから阿部正治の母親に行方を尋ねて貰ったが、当時、阿部正治は時折りしか家に寄りつかないような状態であったため、母親もその行方を知らなかった。同日、阿部正治の親類の家にも行って尋ねたが、そこでも判らず、加害車を捜す手掛りがなくなってしまったため、警察に届け出ようと思っていたところ、翌一七日午前〇時五〇分ころ、本件事故が発生したものである。
三、右認定の事実によれば、阿部正治は、控訴人早坂が翌朝通勤のため加害車を使用する必要があり、極く短時間の貸与しか承諾していないのを十分承知しながら、その早坂の意思を最初から無視して、当分の間勝手に乗り回わす意図のもとに加害車の貸与を受けたものであって、控訴人早坂にしてみれば阿部正治から貸借名義で加害車をだまし取られたも同然であって、同人の本件事故時の加害車の運行は、全く控訴人早坂の意思に反するものであり、かつ、その当時阿部正治との人的関係を通じて加害車の運行を指示、制御し得る状況にもなかったものと認められる。この点に関し、被控訴人は、控訴人早坂は昭和五八年一〇月一二日ころ、本件事故による被控訴人の損害につき、自己を被保険者として、控訴会社に対し、自賠責保険金の請求及び受領の権限を委任し、自動車保険の支払を請求したことをもって、控訴人早坂が阿部正治の本件事故時の加害車の使用を事前に許諾したことを示すものであり、または事後に許諾したものであると主張し、<証拠>によれば、右同日ころ控訴人早坂は、被控訴人の母遠藤文江の求めに応じて、本件事故による被控訴人の損害につき、請求金額、受取人等を白紙とした控訴会社あての自動車保険金請求書と自賠責保険金の請求、受領に関する委任状に署名、押印して交付したことが認められる。しかしながら、原審における早坂政治本人尋問の結果によれば、右書面は、遠藤文江が控訴人早坂の許へ、保険金を使わせてくれと言ってその用紙を持参したので、保険金が支払われるものかどうかわからないから、保険会社と話し合ってくれと言って署名押印して渡したにすぎないものと認められるから、これをもって、控訴人早坂が事前に阿部正治の本件事故時の加害車の使用を許諾したとはいい得ず、また事後に許諾したということもできない。
そうすると、本件事故当時、控訴人早坂は、加害車の運行支配を喪失しており、自賠法三条にいう運行供用者にはあたらないというべく、したがって、同条に基づく被控訴人の控訴人早坂に対する損害賠償請求は、この点で失当であるといわなければならない。
四、控訴会社が昭和五八年八月一〇日、控訴人早坂との間で、加害車につき、保険期間を右同日から一年間とし、対人賠償保険金額を七〇〇〇万円、搭乗者傷害保険金額を七〇〇万円とする本件保険契約をしたこと、右契約に適用される本件約款中に、対人賠償保険に関し、対人事故によって被保険者の負担する法律上の損害賠償責任が発生したときは、損害賠償請求権者は、控訴会社が被保険者に対して填補責任を負う限度において、直接控訴会社に対して損害額の支払を請求することができ、被保険者が損害賠償請求権者に対して負担する法律上の損害賠償責任の額について、被保険者と損害賠償請求権者との間で判決が確定したときは、控訴会社は、損害賠償請求権者に対し、控訴会社が被保険者に対して填補責任を負う限度において、損害賠償額を支払うものとする旨の約定があることは、いずれも当事者間に争いがない。
そして、<証拠>によれば、右対人賠償保険における被保険者には、保険証券記載の被保険者(以下「記名被保険者」という)のほか、記名被保険者の承諾を得て被保険自動車を使用または管理中の者(以下「許諾被保険者」という)も含まれるものと認められ、この認定に反する証拠はない。
しかるところ、<証拠>によれば、控訴人早坂は右保険の記名保険者であると認められるが、しかしながら、前示のとおり、控訴人早坂は被控訴人に対して損害賠償責任を負うものではない。また、前示のとおり、阿部正治の本件事故当時の加害車の運行は、控訴人早坂が阿部正治に許諾した範囲を全く超えたものであるから、同人は右保険における許諾被保険者には当たらないというべきである。
そうすると、控訴人早坂が被控訴人に対して損害賠償責任を負うこと、または阿部正治が許諾被保険者であることを前提とする被控訴人の控訴会社に対する対人賠償保険金の請求は、この点で失当であるといわなければならない。
五、被控訴人が右搭乗者傷害保険の被保険者であることは当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、本件保険契約に適用される本件約款中には、被保険者が、被保険自動車の使用について正当な権利を有する者の承諾を得ないで被保険自動車に搭乗中に生じた傷害に対しては、搭乗者傷害保険金を支払わない旨の免責条項があると認められ、この認定に反する証拠はない。
しかるところ、前示のとおり、控訴人早坂は明示にも黙示にも被控訴人の搭乗を承諾したことはないし、阿部正治は本件事故当時加害車の使用につき正当な権利を有しなかったのであるから、被控訴人は、加害車の使用について正当な権利を有する者の承諾を得ないで搭乗していた者というべきである。この点に関しても、被控訴人は、控訴人早坂が控訴会社あて自動車保険金を請求したことをもって、控訴人早坂が被控訴人の搭乗を事前または事後に承諾したことを示すものであると主張するが、その控訴会社あての保険金請求書が作成された経緯は前認定のとおりであるから、これをもっては、控訴人早坂が事前に被控訴人の搭乗を承諾したとはいい得ず、事後的に承諾したということもできない。
そうすると、控訴会社は、右免責条項により、本件保険契約に基づく搭乗者傷害保険金の支払義務を免れるものというべく、したがって、被控訴人の控訴会社に対する搭乗者傷害保険金の請求は、この点で失当であるといわなければならない。
六、以上認定判断したところによれば、被控訴人の控訴人らに対する本訴請求はいずれも失当として棄却すべきであるから、これと趣旨を異にする原判決中の控訴人ら敗訴部分を取り消して右請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法九六条前段、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 枇杷田泰助 裁判官 喜多村治雄 小林亘)